テキレボEX2 頒布作品試読ページ
「陰陽Gメン警戒中!」
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「あああぁぁぁあっ!!」
 深夜一時十五分。閉店後の書店内に、叫び声が響き渡った。叫び声の主は、この店、音妙堂書店の店長である松山裕輔だと、店内に残っていたスタッフ達全員が瞬時に察する。
「店長!?」
「どうしたんですか!?」
 スタッフ達が、叫び声のしたコミックコーナーへと走り寄る。そして、そこに辿り着いた皆が皆、足を止め、呆然と視界に入り込んできた光景を眺めた。
 床に両膝と両手を突き立てた状態で頽れている、店長の松山。その正面には、ごっそりとコミックの抜き取られた什器があった。一時間前、本日最後の店内巡回の際には、古今問わずに人気のコミックがぎっしりと詰まっていた棚だ。今は何も無く、ただ灰色の背面板を晒している。
「おい……今日、こんなにコミック売った覚えなんて無いぞ……」
「今日どころか、雇われて以来一度も無いよ」
「やられた……」
 ざわめくスタッフ達の前で、松山の体がわなわなと震え始めた。そして、ダンッ! と力強く床を叩く。その音で、店員達はハッと松山に注目した。
 そうだ、今一番ダメージを負っているのは、店長の松山のはずだ。これだけ大量の本が、一気に盗まれたのだ。売り上げに響かないわけがない。
 それだけではない。このコミックコーナーの担当者は、他でもない松山自身だ。三度の飯よりも漫画が好きだという松山が、厳選し、時には流通や版元と衝突しながらも品揃えを充実させてきた。いわばこの本棚は、松山の大事な大事な子どものようなもの。コミック本の盗難は、松山にとっては我が子を誘拐されたに等しい事件なのだ。
「畜生……」
 松山が、震える声を絞り出した。その様子を、スタッフ達はただただ、見守る事しかできない。ある者は痛ましげに。ある者は、松山の精神状態を心配して。
「畜生……」
 松山が、再び呟いた。そして、再びダンッ! と強く床を叩き。そして、絶叫した。
「守れなかった……大切な、あいつらを……!」
「……うん。この状況で漫画っぽい台詞を叫べるなら、まだ余裕はあるな。みんな、撤収ー。警察が来ててんやわんやになる前に、閉店業務終わらせるよー。……あ、警察が色々と調べるだろうから、今日は掃除無しねー」
 一気に気が抜けた、という顔で、アルバイトチーフの本木暦はぱんぱんと手を打った。同じように呆れた顔で、スタッフ達はぞろぞろと持ち場に戻っていく。暦は暦で、警察に電話をするためにバックヤードへと向かった。
 だから、誰も見てはいなかった。一人取り残された松山の目が、怪しく輝く、その瞬間を。


  ◆


「……と、いうわけで。今日から万引きGメンを雇う事にしたから」
「どういうわけですか」
 コミック根こそぎ万引き事件から、数日。バックヤードで唐突に言われ、暦は脊髄反射でツッこんだ。
「ほら、この前大量にコミックを万引きされちゃったじゃないか。それで思ったんだよ。防犯カメラだけじゃ、万引きは減らないな、って」
「あぁ……」
 暦はそこで、先日の大量万引き事件を思い出した。防犯カメラの画質があまり良くなかった事もあって、犯人は未だに捕まっていない。複数名いた事だけが、今わかっている。
「え、でもあれからまだ一週間と経ってませんよ? よく今日から働ける人がいましたね」
「やー、実はさ。まだ募集はかけてないんだ」
「……は?」
 ヘラッと笑いながら言う松山に、暦は顔を引き攣らせた。
「募集はまだかけていないのに、今日から雇うんですか?」
「うん」
「意味がわかりません」
 思わず挙手して鋭い口調で言う。すると、松山は相変わらずヘラッとした顔で「それがさぁ」と言い出した。殴りたくなるような笑顔だ。
「万引きのあった次の日に、電話があったんだよ。万引きGメンを雇う気はありませんか、って」
「……はい?」
 引き攣った顔が更に引き攣っていくのが、暦にはわかった。目の前に立つ松山の顔は、ヘラ、からニヤ、に変わっている。どちらにしても、殴りたくなる笑顔だ。
「あの大量万引き事件のお陰で、元々万引きGメンを雇う方向に心は傾いてたしね。それで募集をかけようと考えていたところに、その電話。……うん、これは是非とも一度会って話をしてみるべきと思ったね。いわゆる、天啓ってヤツ?」
「……も、良いです。元の話の続きを話してください」
 脱力し、暦はため息を吐いた。すると松山はニヤリとした笑顔のまま頷き、休憩室にもなっているロッカールームの方へと声をかけた。
「……というわけで、アルバイトチーフに紹介するから。天津君、出てきて」
 カーテンで仕切られたロッカールームから「はい」という声が聞こえた。男の声。それほど高くも、低くもない。どこか爽やかな印象を与える声だ。
 シャッという音と共にカーテンが開かれ、中から一人の青年が出てくる。歳は、二十歳前後だろうか。背はあまり高くない、やや童顔の青年だ。
「紹介するよ。今日から万引きGメンとして働く、天津栗栖君。天津君、これはアルバイトチーフの本木暦君ね。何かわからない事があったら、彼に何でも訊いてください」
「天津、栗栖……君ね」
 ほっこりと茹で上がった秋の味覚が一瞬頭を過ぎったが、暦はそれを即座に打ち消した。食べ物を連想する前に、確認しておく事はいくらでもある。
「えぇっと……自分から万引きGメンとして売り込んできたって事だけど……そもそも、何でこの店に?」
「面白い騒ぎが起きそうな臭いがしたので」
 あ、やばい、店長と同類だ。瞬時に、暦は栗栖に対する警戒値を最大限まで引き上げた。
「……ところで、何で万引きGメン? 面白い騒ぎが起きそうな店で働きたいなら……この店で働くだけなら、万引きGメンでなくても良いと思うんだけど。……と言うか、俺としてはむしろ、通常業務担当の方に増えて欲しかったんだけど」
「子どもの頃から、正義の味方に憧れていたからですよ! 一回一回の被害額は小さいとはいえ、万引きは窃盗罪で悪! そういう小さな悪をこまめに潰していってはじめて、世の中に真の平和が訪れるんです!」
 一理あるとは思うが、正義の味方に憧れて万引きGメンになるというケースは初めて聞いた。横で松山が、うんうんと頷いている。
「そうだよねぇ。憧れるよね、正義の味方! 男の夢だよねぇ!」
「万引き犯捕まえた途端にバックヤードに引きずり込んで、「痛いだろう? 殴っている僕はもっと痛いんだよ。人に痛い思いをさせるのは罪だよね? これ以上罪を重ねたくなければ、許して欲しければ、己の犯した愚行を泣いて侘びなよ」とか言いながらボコりだしそうな正義の味方は嫌ですよ」
「何言ってんのさ、本木君」
 あははと笑いながら、松山は手をヒラつかせた。馬鹿にするような笑い方が、腹立たしい。
「泣いても許してなんかやらないよ。当然でしょ?」
「余計に正義の味方なんかやらせられるか」
 思わずタメ口でツッコミを入れてから、暦はため息を吐いた。栗栖の方に向き直る。不躾だとは思いながらも、栗栖の姿をじろじろと眺めた。腕は細く、全体的に生っ白い。インドアかアウトドアかと問われれば、まず間違いなくインドア派だろう。
「……失礼かもしれないけどさ。天津君、腕っぷしはどうなの? 足の速さは? 暴れたり逃げたりする万引き犯って結構多いから、身体能力に自信が無いようなら、今からでも遅くないから辞めた方が……」
「たしかに、身体能力にはあまり自信がありませんが……大丈夫ですよ! 僕には身体能力を補って余りある特殊能力がありますから!」
「……は?」
 嫌な予感に、首筋がピリピリする。それだけではない。頭は熱くなるし、背中は汗で湿っぽくなるし、足は震えて心臓は激しいビートを刻み始めて、大変だ。
「僕、陰陽師なんですよ!」
 眩暈がした。
「……陰陽師って、あの? 某出版社とか某出版社とかその他色々な出版社の書籍や文庫で大活躍して、女性の心を一時掻っ攫った、あれ?」
「はい」
「臨兵闘者皆陣列在前とか、オンアビラウンケンとか、そういうの唱える、あれ?」
「よくご存知ですね。そうです、その陰陽師です」
 実際には悪霊退散よりも、予防接種的なお祓いをやったり、星の動きを見て今でいうところのカレンダーを作る仕事の方がメインだったようだが。
「……で? その陰陽師の能力を、万引きGメンでどうやって活用するの……?」
「それは、見てのお楽しみという事で」
 見たくない。そうズバリと言ってしまっては駄目だろうか。
「……ってか、何でそんな能力持ってるの……?」
「先祖が、趣味で嗜んでおりまして」
 お華か。そうツッこみたくて、暦の横隔膜はプルプルし始めた。
「一条天皇の御代……そう、藤原道長が権勢を極めたあの時代から、職務の傍らで陰陽の術を何となく学んできた公家……それが我が天津家なんです!」
 千年もの間、陰陽道を嗜む程度に何となーく学んできた一族……。想像するだけで、乳酸が全身に溜まってきそうだ。
「ね、頼もしいでしょ?」
「どこがですか!?」
 暦のツッコミなどどこ吹く風で、松山は栗栖に向き直った。
「じゃあ、チーフへの紹介も済んだ事だし……そろそろ勤務前の掛け合いをしようか。覚えてきてくれた?」
「はい!」
「ちょ……ちょっと待ってください!」
 笑顔で問う松山と、同じく笑顔で頷く栗栖の間に、暦は思わず割って入った。
「掛け合いって何ですか? 俺、ここ入ってから一度もそんな事やった事無いですし、聞いた事も無いですよ!?」
 一応チーフである以上、知らない事があるのはまずい。しかし、松山は「あぁ」と事も無げに言った。
「うん、今日からやる事にしたんだ。本木君も今から僕達がやるのを覚えて、今度から勤務前に皆でやるようにしてね。……じゃあ、天津君」
「はい!」
「お客様は?」
「神様です!」
「そう言うお客は?」
「ただのクズ!」
「万引き犯は?」
「根絶やします!」
「乱れた書架は?」
「素早く整頓!」
「今日も元気に?」
「重版出来!」
「それでは、よろしくお願いします!」
「お願いします!」
 客に喧嘩を売っているようにしか聞こえない言葉が混ざっている掛け合いに、暦は思わず店内に目を遣った。客に聞かれようもんなら、何と思われるかわかったものじゃない。
 ……大丈夫だ。聞かれたどころか、客の一人もいない。……それはそれでどうかとも思うが。
「……俺、やりませんからね? そんな色んな意味で危ない掛け合い……」
 ささやかな抵抗である暦の呟きは、楽しそうな松山と栗栖の耳には入っていないようだった。


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  ◆


 夕方になり、客数が次第に増え始めた。今は学校帰りの学生が多いが、もう少ししたら会社帰りの社会人も増え始めるだろう。
 こういう、店内が混雑し始めた時間が一番怖いと、暦は思う。
 客が増えれば客対応も当然増えて、スタッフの目は自然と店内に向かなくなる。人が増える分死角も増えるから、商品をこっそりと袋や上着に隠す事も比較的容易になる。人が増えれば、大勢で固まっていても目立たなくなり、グループの犯行による大量の万引きを許してしまう事になりかねない。
 しかも、混雑し始めというのは、何故かスタッフの交代時間帯と被り易い。増え始めた客に慌て、引き継ぎもそこそこになってしまう。結果、不審な動きをしている要注意人物の情報が交代要員に伝わらないままになってしまう……などという事も少なくない。
 暦のシフトは夕方から閉店時間までである事が多い。今日は変則的に、昼過ぎから夜の十時までだ。聞けば、栗栖もほぼ毎日、暦と同じようなシフトだと言う。
「つまり、混雑し始める時間帯から、店内がほぼ空になる時間帯まで……って事?」
「そうなりますね」
 コミックの在庫チェックをする暦の横で、栗栖は頷いた。万引きGメンである栗栖は、店のエプロンは着けない。何も知らない者が見れば、店員と仲が良さそうなただの客だ。
 いつもより格段に早く終わったチェック表を眺め、暦はため息を吐く。コミック根こそぎ万引き事件から、まだ数日。ぼちぼち補充は入ってきているが、棚にはまだまだ空きが目立つ。
 空きの多い棚と、ため息を吐く暦と。交互に見てから、栗栖は真剣な眼差しで拳を握った。
「……許せませんね」
「……天津君?」
 栗栖の目は、今や棚の空きスペースにがっちりと縛り付けられている。上がり気味だった口角が下がり、唇が動いた。
「本屋とは本来、とても楽しい場所のはずです。お客さんは未知の物語への期待で胸を躍らせ、お店の人は自らが薦める本をお客さんが買っていってくれる事で喜びと共感を得る。本屋とはそういう場所だと……少なくとも僕は、認識しています」
「……そうだね。自分に合った本を探す時、面白そうな本を見付けた時、それを買って家に帰るまでの道のり。その全部にワクワクする気持ちがある。自分の好きな本を、もっとたくさんの人に好いて欲しくて、一生懸命ポップを書いたり、陳列に頭を悩ませたり。お客さんがそれを見ているとドキドキするし、レジに持ってきてくれた時は語りたくなるのを必死に抑えてる。……うん、お客さんもお店の人も、どちらにも楽しい場所だよ、本屋は」
 思いがけない真面目な言葉に、思わずしんみりとして暦は頷いた。頬が、少しだけ緩む。だが、逆に栗栖の顔は更に険しくなっていく。
「そんな楽しい場所で、犯人は窃盗という愚行を犯しました。棚を空にし、誰の目にも留まる事無く立ち去る事で、お客さんの本を選ぶ楽しみと読む楽しみ、お店の人の共感と喜びを得る機会を奪ったんです。許す事ができません!」
 頭から湯気を出しそうな程怒っている様子に、暦は栗栖の認識を改めた。何だ、ただの変人じゃなくって、ちゃんと人の気持ちを慮る事のできる良い子じゃないか。
「ですから、今後そのような愚行を犯すような人間には、きちんと然るべき制裁を受けて頂きましょう」
「……待て。今本に何を挟んだ?」
 栗栖への認識は、一分と経たずに元に戻った。栗栖は暦の問いにどう答えるか言葉を探すような顔をしながらも、次々に上着の内ポケットから細長い紙切れを取り出し、スリップと同じようにして本に挟み込んでいく。
 一冊から取り出して見てみれば、そこには赤色の梵字やら漢字やらが割と達筆な筆遣いで書かれている。
「……天津君さぁ……一応訊くけど。これ、何?」
 顔を引き攣らせながら問う暦に、栗栖は「え?」と首を傾げた。
「呪符ですよ?」
 当たり前の事と言わんばかりの栗栖に、暦は再び眩暈を覚えた。倒れそうになるのを堪えながら、問いを重ねる。
「呪符って……何? 参考までに訊くけど、何の意味があって挟むの、これ?」
 まさか、この呪符を挟んだ本は万引き犯が手を出さなくなるというような都合の良い物でもないだろう。そんな物があるのであれば、是非全国の出版社はスリップの裏面にこの呪符を印刷するようにしてもらいたいものだ。
「この本が狙われなくなったところで、別の本が狙われるだけです。それでは、いつまで経っても万引き犯は減りません」
 暦の心を読んだかのように、栗栖は言った。暦が抜き取った呪符を本に戻しながら、どこか誇らしげな顔をする。
「この呪符には、一枚一枚に僕の霊力が込められています。もしこの呪符が挟み込まれた本を、レジを通さずに店外へ持ち出すと……」
「……持ち出すと?」
 嫌な予感はするが、聞いておかなければなるまい。栗栖が、ピン、と右手の人差し指を立てた。
「呪符が式神へと変化して、犯人に一生涯消えないようなトラウマを与えたり与えなかったりします」
「今すぐ全部回収してこい」
 割と広い店内を指差して言う暦に、栗栖が「えー……」と不満げな声を発した。
「このコーナーが最後なんですよ? 他のコミックと文庫、文芸書には挟み終わっているのに……全部回収するんですか?」
「え……全部?」
「はい、全部に」
 栗栖が頷き、暦は店内をぐるりと見渡した。コミック、文庫、文芸書は店内在庫の半分ほどを占める。数は、一万や二万では済まない。
「……いつの間に……」
 少なくとも、今日紹介されてからはそんな時間は無かったはずである。
「あ、二日前の夜。閉店後に面接を受けたんですけど、その場で決まったのでそのまま」
「……うち、閉店時間、深夜一時だよ?」
「夜の作業は慣れていますから。悪霊退治で徹夜する事も多いですし」
 聞かなかった事にして、呪符の回収は諦めた。
 購入したお客から「気味の悪い紙が挟んであった」とクレームがあったら、どこぞの悪ガキがイタズラした事にしておこう。その旨をすぐに店員全員に申し渡そう。
 そう決めた暦は、申し渡しのための回覧文書を作成しようと、バックヤードに足を向けた。その時だ。
「ひぃぃっあぁぁぎゃああぁぁぁっ!」
 店内に、男とも女ともつかない叫び声が響き渡った。驚き、危なく取り落としそうになったクリップボードを、暦は慌てて持ち直す。
「なっ……何だ!?」
「愚かな鼠が、早速罠にかかったようですね」
 出入り口に近い棚を見て、栗栖がクスリと笑った。……と言うか、嗤った。顔が正義の味方どころか悪の組織の参謀になっている事は、この際言うまい。
「ほら、行きますよ本木さん! 鉄は熱いうちに打ち、万引き犯は熱いうちに鞭打ちませんと!」
「さらりと怖い事を言うな! うちはそういう店じゃないから!」
 しかし、例えばの話で。もし武器になりそうな物でもバックヤードに置いてあろうものなら、松山はやるかもしれないな。そんな考えが頭を過ぎった暦は、声の聞こえた方に駆けながら、後でバックヤードに危険物は置いていないか徹底的にチェックしようと心に決めた。

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