テキレボEX2 頒布作品試読ページ
「ガラクタ道中拾い旅」
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第一話 まだ使えそうな鞄を拾う


「見てよワクァ! この鞄、可愛いと思わない!?」
 ある日の昼下がり。春の太陽の下で、明るく高い声が響き渡った。
 辺りは一面の野原。野原の真ん中に、一本道が通っているような状態だ。高い建物は勿論、小高い丘すら無い。
 声を反響させるような物が全く存在しない中だというのに響き渡るその大声に驚いたのか、近くの木に止まり休んでいた鳥達がバサバサバサッと一斉に飛び立った。
 鳥達を驚かせた張本人と言えば、そんな事はお構いなし。三玉しかない短くライオンの鬣色をしたみつあみを首の後ろでピョコピョコと弾ませながら、ワクァと先ほど呼んだ若者に、その鞄を見せた。
 それを見て、ワクァはその端正な顔立ちをあっと言う間に顰めた。
「その鞄の、何処が可愛いんだ? そのウコン色の鞄の何処が!?」
「アンタその顔で下ネタなんか言わないでよ! 汚いわねぇ!」
「文字を入れ替えるな! 植物の名前であって、子どもが喜ぶ下ネタじゃないだろうが! わざわざ話を汚い方向へ持っていくな! ……と言うか、話を逸らすな、ヨシ!!」
「あ、そっか。まだワクァに褒めてもらってないもんね。この鞄の可愛さ!」
「だから、何処が可愛いって言うんだ!?」
 話が振り出しに戻った。どうにもこのワクァ、一人で空回りしている気がしなくもない。
「まぁまぁ、そんなに怒んないでよ、ワクァ。そんなに怒ったら、折角白くて雪みたいな肌と黒くて艶のある髪を持った「テメェ可愛いからって調子こいてんじゃねェぞボケぇ!」なーんて女の子達に呪われちゃうような超を付けたくらいじゃ収まらない可愛い女の子顔が台無しよ?」
「男が可愛いとか言われて、嬉しいわけがあるか! 女顔とか言うな! 人を馬鹿にするのも大概にしろ! それと、早く俺の質問に答えろ!!」
「はーいはい。それじゃあ、訂正訂正。女の子顔だけど、髪の毛短いし男の服着てるから辛うじて男に見えなくもないわ」
「……で、俺の質問に対する答は?」
「あぁ、この鞄の何処が可愛いのかって? そんなの、全部に決まってるじゃない」
 あっさりと言い放つヨシ。赤茶色のコートと朱色のスカーフ、それに灰緑色で肩掛け式の鞄を翻らせ、その拾った鞄をまるで生まれたばかりの我が子を抱き上げる父親のように天高くかざす。
「この瓢箪みたいに変なくびれのある形! 生首の一つくらい入りそうな大きさ! くたびれた布特有の肌触りに、何よりこの少し陽に焼けたウン……ウコン色!!」
 危うく地雷を踏むところだった。頼むから下ネタの危険性をはらむのはやめてくれ、と切に願うワクァである。
 しかし、そんなワクァの願いなんぞ知る由も無く、ヨシはくるりとワクァに向き直るとにこぉっ! と極上の笑顔を作り上げて言い放った。
「ね? 可愛いでしょ?」
「何処がだ!?」
 ヨシの表現方法もまずかったのかもしれないが、とにかくこの鞄を可愛いと思う事はできない。
「何度も言った事だけどなぁ……ヨシ、お前は何でもかんでも拾い過ぎだ! もう少し考えろ! 俺達は今旅をしているんだぞ? 要らない物を拾っても、邪魔になるだけだろうが!」
「だって、どう見てもまだ使えるのに捨ててあるのよ!? 勿体無いじゃない!!」
「だったら、後日この道を通るかもしれない見知らぬ旅人に希望を託しておけば良いだろ! とにかく、元の場所に捨てて来い!!」
「いーやー!! 持ってくって言ったら持ってくの! 良いでしょ!? ちゃんと私が餌やるし、散歩も連れてくからー!!」
「犬じゃない! 大体、散歩も餌も必要ないだろうが! それは動物じゃなくて物なんだからな!」
「わかりきった事をツッこまないでよー」
「わかりきった事をツッこませるな!!」
 ヨシの丸くて深いこげ茶色の瞳は、不満を表すかのように上弦の半月形になる。
 それに対抗するかのようにワクァは形の良い眉とミッドナイトブルーで切れ長の目を吊り上げた。
「大体な……使えるのに捨ててあるのは勿体無いと言うが、そのボロ鞄をどう使うつもりだ!? ヨシが今使っている鞄はまだ余裕があって、切迫している事情は無い! この先大幅に荷物が増える予定も無い! お前が目的とする物が見付かる保障も無い! 無い無い尽くしで、新しい鞄を必要とする可能性も無い! 使いもしない物は持ち歩かないのが旅の鉄則だろうが! それとも、何か入れる物でもあるのか!?」
「これから出逢うであろう素敵な思い出達」
「……それで、何か良い事を言ったつもりか……?」
 ワクァの口端がピクピクと動く。
 しかし、そんなワクァの怒りなんぞ何処吹く風。ヨシは「何を如何言われようと、私の勝手だもんねー」と言って、既に鞄を肩から掛けている。
 元々持っていた鞄と併せて二つ。胸の前でクロスするようにすると、そのまま「出発~!!」と叫んで歩き始めた。
「あ! こら待てヨシ! 話はまだ終わってないぞ!!」
 そう言いながら、早歩きでヨシを追うワクァ。
「説教されるってわかってて、誰が待ちますか! 話がしたけりゃ追いついてみなさいよー!」
 ヨシは喋りながらも歩くペースを速め、遂には走り出す。
 その態度に一瞬唖然とした後、はっとした顔をしてワクァは同じように走り出した。
「俺から逃げ切れると思っているのか!? 無駄な抵抗は止せ、ヨシ!!」
 どうやら、足には自信があるらしい。第三者がこの場にいたら、何処ぞの悪者ではないかと勘違いされそうな台詞を叫びながらも追い続ける。
 しかし、ヨシは怯まない。
「だーれが栄養不足で低身長の野郎なんかに捕まりますか! 見なさいよ、この健康的に焼けた小麦色の肌! 誰もが羨むであろう、この健脚! 私を捕まえようなんざ、百億光年早いのよ!!」
「光年は時間じゃなくて距離の単位だ! 何度教えたらわかるんだ、馬鹿っ!!」
 こんな時でさえ、例え息を切らしていてもワクァはツッこむ事を忘れない。そして、どちらも未だ気付いていない。
 二人で旅をしている以上、いずれは合流する事になるという事に。
 ある晴れた日の昼下がり。追いかけっこは、まだ暫くは終わりそうにない。




第二話 どう見ても使えない石ころを拾う


 小雨が降り続くある日の夕暮れ時。ヨシとワクァは、今日も道を歩き続けている。グジャグジャになった泥だらけの道に、ズブリ、ズブリ、と足を取られながら歩いている。
 鞄や衣服はしっとりと濡れ、ヨシの赤茶色いコートと朱色のスカーフは濃さを、ワクァの黒いコートは暗さを増している。
「あーあ……傘が欲しいなー……。それに、長靴も……」
 ヨシが、愚痴るように言った。
 傘も無い状態で長時間歩き、相当の水を吸ったのだろう。ヨシのライオンの鬣色をしたみつあみは、見ただけでもわかるほどずっしりとした重みを持っていた。
見ているだけでも首が凝りそうだ。
 しかし、その程度の重みはやはり何ともないのか……ヨシは普段と全く変わらない口調で楽しそうに言葉を続ける。
「傘を買うならどんなのかしらねー。玉虫色も捨てがたいけど、やっぱりここはピンクかな。あ、でも鳶色ってのも良いわね……。ねぇワクァ! 長靴を買うなら、やっぱり白よね!? 白だったら泥の色が目立つから、後から見て「あぁ、こんなに泥が付くほど酷い道を歩いたのかー。さっすが私! 良い根性してるわ!」って思えるものね!」
「普通はそんな基準で長靴を買ったりしないだろう」
 雨でテンションが下がっているのか……滴り落ちる水滴の所為で額にへばり付いた漆黒の短い髪を鬱陶しそうに掻き揚げながら、特に叫ぶ事もなくワクァがツッこんだ。ミッドナイトブルーの瞳にはヨシほどの生気は無く、それだけで彼がこの雨にげんなりとしている事が見て取れた。そんな彼は靴が元々長靴に似たような形だ。長さがあるので靴の中に泥が入ってくる事は無い。少なくとも、ヨシよりはマシな状態である事は確かだ。
 だが、テンションは確実にヨシが勝っている。彼女は、元の色が何色だったかもわからないほどに靴を泥だらけにしながらも、楽しそうに言う。
「白って良いわよー! 確かに汚れは目立ちやすいけど、服でも靴でも洗い上がった物を見た時「綺麗になったー!」って実感できるじゃない」
 そりゃあ、シミができちゃった時は悲しいけどさ……と言うヨシに、ワクァは気を紛らわせるかのように問う。
「……だったら、お前は何で普段から白い服を着ないんだ? いつもいつも藪に分け入るわゴミを漁るわ……洗ってもすぐに汚れるんだから、何度でも綺麗になったと実感できるだろう?」
「だって……ただでさえこんなに可愛くて、こんなに健康的に焼けているのよ? 白いワンピースなんか着たら何処かの活発なお嬢様が屋敷を抜け出して旅に出ようとしてる……なんて思われちゃうわ! そうなったら、ワクァだって困るわよ! お嬢様を誘拐した極悪人と勘違いされちゃうかも……!」
「安心しろ。お前はどう見てもお嬢様なんてガラじゃない。……と言うか、ワンピースなんて一言も言ってないだろうが……」
 呆れるワクァ。しかし、ヨシは聞いていない。
「けど……今の服装はコレだもんね……これじゃあお嬢様どころか、男装の麗人を護衛するお付の少女Aよ……」
「誰が男装の麗人だ!!」
 ワクァがすかさずツッこんだ。この話題の時だけは常にテンションが一定レベルなのよねーなどと考えながら、ヨシはふと道の脇を見た。
「?」
つられて、ワクァもヨシの視線の先を見る。
「…………」
 何も、無い。少なくとも、彼にはそう見える。
 だが、彼に見えなくても、相方である彼女には何かが見えている事がしばしばある。そして、いつもいつも何かしら奇妙な物を探し当ててしまう。
 共に旅を始めてから幾月……何度その奇行と奇妙な物体に度肝を抜かれたかは既に定かではない。
 そう考えると、かなり嫌な予感がする。
「……ヨシ?」
 ワクァが、恐る恐る声をかけた時だ。
 まるでその声がスタートの合図だったとでも言わんばかりに、ヨシが脱兎の如く駆け出した。
「ヨシっ!?」
 わけがわからず、ワクァはヨシの名を呼ぶ。しかし、ヨシは聞いていない。
 駆けて行ったかと思うと、道の脇にしゃがみ込み、そのまま地面の泥をかき分け始めた。
「おい……何をしているんだ、ヨシ……?」
 ワクァが声をかけても、ヨシは全く答えない。ただひたすら、泥をかき分け地面を掘り続けている。見ているワクァは、気が気ではない。
 こんな雨だ。時間はもう夕暮れで、暗くなってきた。早いところ街に辿り着いて、宿を取りたい。なのに、連れがこの状態では行くに行けない。
 気温もどんどん下がっている。このままでは、誇張抜きで風邪をひきかねない。
「おい、ヨシ……いい加減に……」
 ワクァが、そう言い掛けた時だ。
 ベチャッと、雨の日特有の、嫌な音がした。
「うぉっ!?」
 続いて、女の子らしからぬ女の子の声が聞こえてくる。
「……ヨシ……?」
 嫌な予感がしたのか、ワクァはついつい恐る恐る声をかけた。
 すると、さっきまでどう声をかけようが反応しなかったヨシが、くるぅりとこちらを向いてみせる。その顔には、まるで新しい玩具を手に入れた幼い子供のような満面の笑みが広がっている。
 ワクァの嫌な予感は、どんどん現実味を帯びていく。
「ねぇ、ワクァ……これ見てよ! すっごく良い感じじゃない!?」
 そう言って彼女が差し出した両手には……握り拳大の石ころが二つ、ゴロンとのっかっていた。
「……!」
 瞬時に、ワクァの顔が引き攣った。しかし、物が物なだけに、もはや声すら出てこない。呆れて口をパクパクさせていると、ヨシは満足そうに言う。
「この石、将来何かに使えそうよねー。って言うか、絶対使えるわ! こんな泥に埋もれてたお宝を発見するなんて、さっすが私!! やっぱり素質あるわー」
「何の素質だ!?」
 ここで、やっとワクァは声を絞り出した。しかし、ヨシは答えない。拾った石を握りしめ、嬉しそうに小躍りしている。
 そして、石を水溜りで軽く洗い、泥を落とす。そのまま二つとも以前拾った鞄にすべり込ませると、何事も無かったかのように歩き出した。
「ほらワクァ! 早く行きましょ! 何ボケッとしてんの? 日が暮れちゃうわよ!」
 ここまで一方的に事を進められると、いっそ清々しい。こいつには何を言っても無駄だ……。
 そう思ったのか、ワクァはハァと深く溜息をつき、ヨシと共に再び歩き始めた。
 雨はまだ、やみそうにない。


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第三話 何となく勿体無い紐を拾う


「……拾うんだったら、何に使えるのか具体的な提案をしろよ?」
 薄曇の空の下、相変わらず端正な顔を引き攣らせながら、ワクァが言った。胸の前で組んだ両腕は、心なしかピクピクと震えている。相当怒っているようだ。
 彼の眼前には、健康的過ぎるんじゃないかと言いたくなるほど健康的な顔色をした、ライオンの鬣色をした髪を首の後ろでみつあみにした少女。その手には、一本の紐が握られていた。
 太さは指の半分程度。何か特殊な物質でも織り込んであるのか、薄汚い灰色で、かなり頑丈そうだった。
 頑丈な紐だったら、旅に使えるだろう。荷物をまとめたり、命綱に使ったりできる。
 しかし、ワクァはその紐を持っていく事を駄目だと言う。
 だが、その言葉にはちゃんと理由があった。
 如何せんこの紐、長さが八十センチ程度しか無い。荷物をまとめるにも命綱に使うにも、長さが足りない。帯に短し襷に短しで、短過ぎるのだ。
 かと言って、衣服を修繕したり髪をまとめたりするのには太過ぎる。
 おまけに頑丈過ぎて簡単には切れそうにない。切れないのでは何かと不便だ。とにかく、この紐は使えない。使えなさ過ぎる。使えない物は旅で邪魔になるだけだ。
 だからワクァはこの紐を拾っていこうとしているヨシに対して釘を刺そうとしている。
 本人とて、悲しい限りだ。何で十八になったかならないかの若い男が、こんな母親みたいな事を何度も何度も説教しなければならないのか。しかも自分よりもヨシの方が背が高いと思うと、尚一層悲しくなる。
「もぉ……そうやってワクァはすぐにまだ使える物を見捨てようとするー。悪い癖よ? そんなに何でもかんでも「これは要らない、あれは要らない」って見捨ててたら、そのうち後悔しちゃうんだから!」
「それは俺の台詞だ! 何でもかんでも「これも使えそう、あれも使えそう」と拾ってばかりなのは、ヨシの悪い癖だ! そのうち荷物が増え過ぎて後悔するぞ!?」
「だって実際使えるじゃないの!」
「だったら答えてみろ! その紐! 前に拾った石! 一体何に使えると言うんだ!」
「漬物漬けたり! ハムを作ったり!!」
「何処の馬鹿が旅の途中で漬物やハムを作ると言うんだ!? 常識で物を考えろ!!」
「常識って何よ! 頭固過ぎるんじゃないの!?」
 ヨシもワクァも、一歩たりとも譲ろうとはしない。
 たった一本の紐をめぐって、大論争を繰り広げようとしている。言っている内容は非常に馬鹿馬鹿しいが。
 ギャースカギャースカ! ピーチクパーチク!!
 そんな擬音がピッタリと合いそうな二人のやり取りは終わる気配を見せず、道行く別の旅人達の良い見世物になっている。おまけに渦中の人物は絶世の美少年と、そこそこの美少女――ただし、性格と服装の所為でパッと見美少女には見えない……――……いや、傍目から見れば絶世の美少女とそこそこの美少女――ただし、性格と服装の所為でパッと見美少女には見えない……――という組み合わせだ。
 旅人達から見れば、この上なく興味をそそられる状況ではあるだろう。嫌でも見物人は増えていく。
「何だ、痴話喧嘩か?」
「違うって、この場にはいねぇけど、きっと男の取り合いだよ」
「いやいやいや、あれはきっと、箱入りお嬢様とお付の侍女で意見がわかれたんだよ。ほら、旅のなんたるかも知らないくせに仕切りたがる奴っているだろ?」
「! ひょっとしたら、身分を隠して館を脱出した貴族の令嬢を連れ戻しに来た貴族直属部隊の女隊長!?」
「……なるほど! 館に戻れば好きでもない相手と政略結婚させられてしまいそうで必死に……それでいて気丈に抗う令嬢と、主人の為……延いてはその領地に住まう民の為に令嬢を連れ戻そうとする貴族直属部隊の隊長……女性を向かわせたのは、令嬢を気遣うせめてもの主人の優しさというわけか……!」
 中々想像力豊かな旅人達である。これがただ、一本の紐を拾うか拾わないかで言い争っているのだと聞いたら、彼らは一体どんな顔をするのだろうか……?
「だとしたら、令嬢は絶対あの黒髪の美人さんの方だよな」
「あぁ、他に考えられねぇな」
「本当、あんな美人見た事ないぜ。あんな美人がこんな田舎道を旅してるなんて勿体無ぇ……俺がああなら、絶対館から出たりしねぇぜ?」
「五月蝿いぞ! 散れっ!! それと、誰が令嬢だ!! 俺は男だ!!」
 全て聞こえていたらしい。堪忍袋の緒が切れたらしいワクァが、青筋を米神に立てながら鞄を振り回した。
 ある者は鞄を恐れて後に退き、ある者は今までの会話に関係無い振りをしてそそくさと旅路を急ぐ。そしてまたある者は、その女にしては低い声と「俺は男だ」発言に唖然とした。
 そんな彼らを横目で睨み付けながら、ワクァはヨシに言う。
「良いか、ヨシ! お前がどうしてもその小汚い紐を拾う、これからも使えそうだと思ったら何でも拾う……そう言うなら、好きにすると良い!」
 突然の言葉に、ヨシは一瞬ぽかんとした。だが、その後すぐに顔を嬉しそうに綻ばせる。やっとワクァに自分の想いが通じたと思ったからだ。
 だが……。
「ただし、俺は別行動を取らせてもらうからな! 元をたどれば、俺とお前が絶対に一緒に旅をしなきゃならない理由なんて無いんだ! 旅の目的もバラバラだしな! 王への献上物を探してるんだか何だか知らないが、行きたければ勝手に一人で行けば良い! 使えると思った物を好きなだけ拾い集めながらな!!」
 そう言って彼は踵を返すと、まっすぐに歩き始めた。
 この先は、三叉路だ。一度違う道を選んでしまえば、二度と同じ道を歩く事は無いかもしれない。
 そうわかっていながらも、ワクァは迷わず進んだ。
 彼の突然の行動に、呆気に取られているヨシを振り返る事もせずに。





第四話 命を拾う


 サクサクと、ワクァは山の道を歩き続けた。
 傾斜角は七十五度で、殆ど垂直に近い。山と言うか、崖だ、これは。辺りは岩肌、茂みだらけ。
 それなのに、一歩横に逸れれば今度は砂地になっており、足を取られ易い事この上ない。道と言うか、獣道だ、これは。
 昨日滞在した街で聞いた話によれば、この道は三叉路を進んだ先にある道の中でも最も嶮しい難所なのだと言う。そんな道なら、わざわざヨシが選んで通るとは思えない。
 自分が拾いたい物を拾いたいだけ拾えるとなれば、こんな道を通ってまで自分を追っては来ないだろう。そう確信して、サクサクと進む。
 崖のような獣道を歩いているとは思わせないほどスムーズに、サクサクと進む。まるで、極普通の街道を歩いているかのようだ。
 その身体つきからして身軽なのは解るが、その小さい体の何処にこんな崖登りをし、獣道を突き進む体力があるのか……疑問を感じずにはいられない。
 途中で、誰が捨てたのか割れた鏡を見付けた。ヨシがもしこの場に居たら、まず間違いなく「鏡の部分を接着剤で貼り付ければ、まだ使えるわよ! 勿体無いから拾って行きましょ!」と言うに違いない。
 この場にいなくて、本当に良かったとワクァは思う。
 その後も、鉄釘だの薄汚れた大き過ぎる麻布だのひしゃげたフライパンだの、どう見ても使えない……しかしヨシに言わせれば「きっと将来役に立つ」ゴミがわんさか落ちている。
 更に、お誂え向きに鴉まで飛んでいる。
「……ゴミ捨て場か、ここは……」
 あまりと言えばあまりな光景に、ワクァは顔を顰めて苛立たしく呟いた。
「何を考えてこんなところに捨てているんだ……それに、このゴミで怪我をする奴がいるかもしれないとか、このゴミを拾って仲間に迷惑をかける奴がいるかもしれないとか、そういう配慮がまるで無い……」
 そこまで呟いて、ふ、と言葉を切る。ゴミを拾って仲間に迷惑をかける奴……そんな人間、この世に二人といるわけがないじゃないか。
 さっきまで一緒に歩いていて、罵り合いをしていた相手……彼女以外に、いる筈がないじゃないか。
 こんな事を言うなんて、まるで今でも彼女が一緒に旅をしているんだと思ってるみたいじゃないか。
 まるで、彼女と一緒に旅をするのが当たり前だと思っているみたいじゃないか。
「……馬鹿馬鹿しい……」
 そう呟いて、彼は自嘲した。
「あんな何でもかんでも必要ない物ばかり拾ってくるような奴……一緒に旅をしたからって何になるって言うんだ……俺も俺だ。何だってあんな奴と一緒に旅をする気になったんだか……」
 誰に聞かせるでもなく呟くが、当然答は返ってこない。いつもだったら、その明るく大き過ぎる声で
「なーに言ってんのよ! ワクァが私に惚れ込んじゃったからなんじゃないの!? 十八になるかならないかのうちからもう認知症? それってやばいんじゃないの?」
などとふざけた事を叫ぶ人間がいるので、余計に辺りが静かに、それでいて空しく感じられた。
「……何で、こんなに静かなんだ……」
ぽつりと、呟いた。
「こんな静けさ……今まで切望し続けてきたじゃないか……ヨシと旅をするようになってから、静かで落ち着いた時間なんて殆ど無かったんだから……!」
 そう呟いて、今までの日々を思い出す。
 そう、ヨシはいつも元気だ。元気過ぎる。カエルを見たと言っては小躍りし、通りすがりの母親が腕に抱いていた赤ん坊が笑ったと言っては自分も大声で笑っていた。
 女らしさなんて欠片も無く、とにかくいつも騒々しい。そんな彼女を制するのに、今まで自分がどれだけ苦労したかなんて、考えるだけでも涙が出る。
 それなのに……今は、その騒がしさが懐かしい。この静けさが、恐ろしい。まるで静けさと言う名の魔物が自分に迫ってきているようだ。
「……望んでいた、筈じゃないか……」
 ワクァは、押し出すように言った。
「ずっと昔から、望んできた筈じゃないか……こんな風に、一人で、誰の供をするでもなく、自由に、一人で気ままに……多少不便で心細くても……こいつがいれば、それで良かった筈じゃないか……」
 そう言って、腰の辺りに手をやる。丈の長いコートの所為で、そこに何があるのか……ワクァの言う「こいつ」が何なのかはわからない。ただ、人でないのは確かなようだ。
 だからこそ、孤独に恐怖を覚えたのだろう。それでなくても、旅と言うのは危険な物だ。いつ何時、何に襲われるかわかったものじゃない。
 旅の人数は二人以上いた方が……人の目が沢山あった方が、いち早く危険を見付ける事ができて安全なのだ。一人だと、どうしても全てに気を回す必要に駆られ、無駄に緊張し体力を削るハメになってしまう。
「いつの間にか、傍にあるのが当たり前になっていたんだな……ヨシの、あの雰囲気が。……お前も、そう思うだろ?」
 そう言って、ワクァは先ほども手をやった腰の辺りを見る。何か、いるのだろうか?
 そうでなければ、精神的にワクァは危な過ぎる。
 しかし、幸か不幸かこの辺りにワクァ以外の人はいない。独り言にしか聞こえない言葉を誰にも聞かれる事無く、ワクァは更に独り言を続けた。ただし、今度は腰の何かにではない。
「それにしても……ここのゴミは酷過ぎるぞ……。これだけ足元にゴミが散らばっていたら、歩くのも容易じゃないじゃないか……!」
 そう、ぼやく。姿も知らぬ、この道々のゴミを捨てた者達に向かって。
 勿論、答える人間は誰一人としていない……筈だった。
「へっへっへ……悪うござんしたね、ゴミだらけで。ま、こっちもこれで飯を食ってるんで、ここは一つご愛嬌……という事で」
「!?」
 何者かの声が聞こえて、ワクァは瞬時に声の聞こえた方を仰ぎ見た。
 山の、頂に近い場所……。そこから、声が聞こえてくる。
「……?」
 目を凝らして見詰めると、そこにはいくつかの人影が見えた。その全ての影は、よく見ると男のようだ。それも、全員かなりがたいが良い。そして、逆光でよくは見えないが、全員随分と凶暴そうな顔をしている。
 ここで、嫌な予感が過ぎった。いや、過ぎったと言うのは間違いかもしれない。
 何となくではあるが、薄々予感してはいた事だ。とにかく、今のこの状況をまとめようと冷静に頭を働かせる。
 がたいが良い、凶暴そうな男達。先ほど聞こえてきた声の、如何にも人を陥れる事で食い扶持を稼いでいます的な台詞回し。そして、ここは難所で有名な山道と言う名の獣道。人通りは、極めて少ない。
 なら、おのずと答は出てくる。嫌な予感から何となく彼らの正体を結論付け、ワクァは極めて冷静に問うた。
「……何だ、お前達は……?」
 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だ。ザッと音を立て、男達は山の上からワクァの目の前まで一気に滑り降りてきた。
 相当この山の悪路に慣れているようだ、とワクァは心の奥底で密かに感心する。
 そんなワクァの心の声が聞こえたかのように、男達の頭と見える男はニヤリ、と笑って言い放った。
「俺様達はこの山一体を支配する山賊様よ! 命が惜しけりゃ、黙って俺様達に従いな!!」
 あまりにひねりの無い台詞に、ワクァは思わず呆れ顔になった。そして、やれやれと言うように呟いた。
「やはり、そうか……。難所の割にはゴミが多いから薄々予感はしていたが……。それにしたって、ひねりが無さ過ぎだろう……山賊とは言え、もう少し勉学に励んだらどうなんだ……?」
 そこまで言って、ワクァはハッと口をつぐんだ。
 いつものクセでつい言いたいだけ言ってしまったが、相手はヨシじゃない。見ず知らずの山賊達だ。嫌味や皮肉に、ボケやツッコミが返ってくる事はまず無い。
 それを、ここまで言いたい放題言ったからには、事が穏便に済むとは到底思えない。
「面倒な事になった」とでも言いたげな目で、ワクァは山賊達の顔を見た。
 額には青筋の大安売り。目は血走っている。彼らがまとう雰囲気は、ただそれだけで「何を言い出すか、こんガキャア」と巻き舌で言っているようだ。
「……やっぱり、言い過ぎたか……」
 と深い溜息をつき、ワクァは呟いた。だが、言ってしまった事は仕方が無い。殺る気満々の山賊達を無視する事もできないだろう。
 こうなったら、もう戦う他に道は無い。
「ナメんじゃねぇぞっ! クソガキがぁっ!!」
 そう叫んだかと思うと、山賊達は手に手に武器を取り、前、上、左右と遠慮する事無く襲い掛かってきた。その様子を眺めながら、ワクァは再び溜息をついて呟いた。
「……やるしかないか……いくぞ、リラ」
 そう、何者かに呼び掛けると、ワクァは腰に手をやった。それとほぼ同時に、山賊達が斬りかかる。
ヒュッという風を切る音が聞こえ、間を置かずに斬撃音が響いた。
 気が付いた時には、山賊達は宙を舞い、次の瞬間にはドドドドッという音と共に地面に墜落している。
 ワクァはと言えば、居あい抜きで一歩踏み込んだ体勢を崩さず、静かに山賊達が堕ちる音を聞いていた。黒のコートが、踏み出した勢いと風ではためいている。
 その手には、抜き身の剣。全長は八十センチ程度。平たく……それでいて先の鋭い刀身を持ち、柄には持ち手を固定する為の装飾が施されている。
 剣を持つ右腕を軽く振り下ろし、ワクァは静かに山賊達に言った。
「どうする? 俺もリラも、まだ本気を出しちゃいない……だが、次に俺がリラを振れば、お前達に命は無いぞ? お前達に残された選択肢は、二つ……今すぐ退いて生き延びるか、再び俺達に襲い掛かって死ぬか……」
 脅すように呟き、リラと呼ぶ剣を構え直す。
「ひっ……!」
 山賊の一人が、情けない声をあげた。それでなくても、ジリジリと山賊達が後退していくのがわかる。
 形勢は、一気に逆転した。今は確実に、こちらに分が傾いている。そう、ワクァは勝利を確信した。
 油断したのかもしれない。リラを持つ手が、ほんの少しだけ緩んだ。緩んだ手の隙間から、柄に掘り込まれた図柄がチラと覗いた。植物か何かのような……そんな図柄だ。それはよく見ると、紋章か何かのように見える。
 それを、山賊の頭は見逃さなかった。流石は頭を張っているだけの事はある……というところだろうか。
 頭は「へェ」と声をあげると、大きな……相手の心を取り乱させるような声で、言った。
「上物の剣を持ち、その柄にはタイムの紋……成る程、お前、タチジャコウ家の関係者か」
「!」
 その声に、ワクァは顔色を変え、周りの山賊達は色めきたった。
「タチジャコウ!?」
「あの四大貴族のですかい、頭!?」
「おぉよ。俺様はお貴族様だろうが誰だろうが、俺様のテリトリーに入り込んだ奴からは必ず何かしらせしめてたからな。その中には、四大貴族に関わる品も沢山あったからよ。奴らの家紋ならすぐにわかる。何せ貴族って奴は、自分の物には何かと家紋を掘り込みたがるからな。見てみろよ、奴の剣を。柄に草の図柄が掘り込まれてるだろ? ありゃあタイムっつって、タチジャコウ家の家紋だ。間違い無ェ」
 自慢げに語る頭。手下達は、「へぇ」「ほぉ」と頭の博学に舌を巻いている。そして、実はワクァも。
 山賊の頭程度が四大貴族の家紋を全て把握しているとは思っていなかった為、心底驚いている。先ほど「勉学に励んだらどうなんだ」と言ったが、撤回しなければならないかもしれない。
 もっとも、この頭が四大貴族から品々を巻き上げていなければ、ここまで詳しくなる事はなかっただろうが。
「……四大貴族のクセに、山賊に物を奪われるなんて失態を犯したのか……。誰だか知らないが、無様な事この上無いな……」
 呟くように、悪態をつく。
 財力に任せて集めた護衛団をアッサリと倒され、貴族のプライドも何もかも捨てて「命ばかりはお助けください」などと命乞いする姿は、想像するに難くない。
「普段は吐き気がするほど威張っているくせに……。だから貴族って奴は嫌なんだ……」
 吐き捨てるように、呟いた。その様子を見て、頭は楽しそうに言う。まるでワクァを責めるかのようにして。
「だが……お前は貴族にしては態度も口も悪いな……それに、貴族のようにすましてねぇし、今まで相手にしてきた貴族どもに比べてよっぽど勇敢だ」
「……」
 ワクァは、何も答えない。ただ睨むようにして、頭の言葉を聞き続けている。
「その若さでそこまで強いのも不自然だな。それに……ただの傭兵なら貴族がわざわざ家紋入りの武器を与えるわけが無い。それに、手練の傭兵って奴は愛用の武器を持っているから与えられた武器なんか使わない。そして、どんなに強くても貴族って奴は絶対に若い武芸者を雇う事は無い。見た目が若いと、どれだけ強くても雇い主は不安になるものだからな……」
 そう、頭は言う。そして、一息分の間を置くと、更に言葉を続けた。
「こうなると、お前の正体の可能性は残すところあと一つだ。……お前、傭兵奴隷だろう?」
「……!」
 傭兵奴隷という言葉が出た瞬間、ワクァの顔が引き攣った。山賊の手下達は不思議そうな顔をして頭に問う。
「ヨウヘイドレイ?」
「お頭、何です? それ」
「文字通り、傭兵の奴隷の事よ。強い武芸者って奴は何かと高い金を取るし、いざ戦わせてみると案外使えねぇ事が多い。本当に強い武芸者を見付けるのは大変な事だし、見付けたとしても確実に雇用されてくれるとは限らねぇ……そこで貴族の連中が考えたのが、傭兵奴隷だ。幼い子どもを奴隷として買い取り、ただひたすら武芸の英才教育を施すんだ。勿論、貴族の恥になってもらっちゃ困るから、多少の学問もな」
 手下達の疑問に、頭は自慢げに答えた。
「奴隷だから、厳しい訓練で死んだとしても全く問題無ぇし、給料も要らねぇ。おまけに傭兵となる事を断られる事も無ければ、他家に取られる事も無ぇ。他の奴隷に比べて多少養育費はかかるが、貴族の子どもの教育費や一般の傭兵を雇うのに比べれば大した額じゃない。貴族にとって最も都合の良い護衛兵……それが傭兵奴隷だ」
「あれ? けど何年か前に、奴隷制度をなくすように、ってお触れがあったような……?」
「あぁ、今の王は人を奴隷にする事を嫌っているらしいな。だが、この辺りは王都から離れていて、王の目も届き難い。だから、奴隷を使う家はまだまだたくさんあるのさ。勿論、傭兵奴隷もな」
 ワクァは、密かに舌打ちした。まさか山賊の頭がここまで知っているとは思いもよらない。思い出したくもない自分の素性を無理に思い出させられたような感じがして、胸がむかむかする。
 そんなワクァをからかうかのように、頭は言葉を続ける。
「傭兵奴隷って奴は、他の奴隷と同じように蔑まれたり使われたり主人の玩具にされたりと差別される存在だが……武芸も学問もさせてもらえる。見た目が粗末にならないよう衣服や武器も与えられるし、戦う体力をつける為に普通の奴隷とは比べ物にならない程良い飯を喰わせて貰えるんだってな? だからだろうよ、そんなに顔が綺麗なのはな。元が良いってのもあるんだろうが、普通の奴隷なら食生活や働く環境の劣悪さの所為でどうしても顔や体の形が悪くなっちまうからな。成長したお前を見て、主人の貴族達はさぞ喜んだだろうよ。こんな美人の奴隷、格好の遊び道具だからな」
「黙れっ!!」
 遂に、堪りかねたようにワクァが叫んだ。その顔には、怒りと、悲しみと、絶望と……そんな負の感情を全てない交ぜにしたような複雑な表情が現れていた。
 弾けたように地面を蹴り、リラを振るう。それを短剣で受け流しながら、頭は言う。
「どうした? 図星だったか? それとも、奴隷のクセに貴族の傭兵をしていたもんだから、一丁前にプライドでもあるってのか? 侮辱されて頭にきたってのか? ……そりゃあ、そんな美人で、しかも奴隷なんだ。主人やその仲間の貴族が、戯れに何かやったと考える方が普通だと思わねぇか? そうだろう?」
「黙れっ! 黙れ……黙れっ!!」
 我を忘れたように取り乱し、リラを振る。その剣の軌道は、先ほどとは悪い意味で比べ物にならない。はっきり言って、滅茶苦茶だ。力は篭っているが、激昂の所為で太刀筋が丸見え。
 これでは、少し落ち着いてみれば田舎の山賊の手下風情でも簡単に見切れてしまう。それが頭であれば、尚更だ。まるで幼子と相撲を取るかのようにワクァの攻撃を軽く受け流している。
 見ればその足は、最初と全然位置が変わっていない。全く動いていないのだ。
 それに引き換えワクァは、冷静さを失い滅茶苦茶に打ち込んだ。おまけに、全て受け流されている為、その度に打ち込み直している。その分、体力の消耗が激しい。
 いつしか息は上がり、肩の上下運動が激しくなっている。そんな様子を見た頭は、周りで様子を窺っていた手下達に言う。
「野郎ども! 何をボサッとしてやがる! 見てみろ、こいつはもうバテバテで、子ども程度の体力しか残ってねェ! さっさと囲むなり何なりしねぇか!」
 怒鳴られて、手下達が慌ててワクァを囲みにかかる。ここで、初めて頭の血がひいた。冷静を取り戻し始めた頭で、素早く状況を確認する。
 そして、結論はこうだ。
 ……ここは、一旦逃げるしかない。
 そう思うワクァだが、思うように足が動かない。今の今まで頭とがむしゃらに戦って、ただでさえ体力を削ってきたのだ。それでなくても、山賊達が斜面を駆け下りてくるのに対して、自分は斜面を登る事で山賊達に向かっていっていた。傾斜角七十五度のこの崖道を、だ。
 おまけに、この道には山賊達が今までに捨ててきたと思われるゴミがゴロゴロと転がっている。山賊達が現れた際に口にした台詞から考えて、恐らくこのゴミも旅人を襲い易くする為に捨てられ続けてきたのだろう。
 ゴミに足を取られ、上手く走れない事に気付いてから、ワクァはそれに気付いた。
 この山賊達…いや、この山賊の頭……驚くほどに知識と知恵を持っている……。ワクァがそこまで思い至って、舌を巻いた時だ。
ガン、と後ろの方で、鈍い音がした気がした。次に、後頭部に鈍い痛みが走る。
 痛みは初め衝撃に近かったのが段々と頭部全体に蔓延していき、いつしか激痛となって彼に襲い掛かった。
「……っ……!」
 言葉にならないうめき声をあげ、彼はその場に倒れこんだ。
 辛うじて保った意識で何とか立ち上がろうとするが、頭の痛みと重力がそれを彼に許さない。
 リラを握っていた手から、段々力が抜けていくのがわかる。折角保った意識が、自分から離れようとしているのだろうか? 視界も段々ぼやけてきた。音も、周りの風の音や葉を踏む音……そんな自然特有の極微小な、普段なら聞こえないような音ばかりが嫌に耳に付く。
 そんな中で、彼は自分の体がふっと浮いたように感じた。彼の耳には既に、山賊達の「塞に連れて行け」という言葉は聞こえていない。
 そして、その様子を遠くからジッと見詰めている者がある。
 ライオンの鬣色をしたみつあみが、風に煽られてふわりと揺れた。

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